まてまて長くなったぞこれ
本当に急に秋風が吹くのはやめてほしい。
卒業した先輩が急に部活にきて吹かせる風くらい
寒いものがあり
勢いがある。
秋とはそんなものなのだ、どうてことない。
違う。そういうことではない。
これ長くなるけどいいやって思っても下まで飛ばすとかナシだからな。ナシだぞ!ナシだからな!!
一篇のお話を読んで知ったことがある
振る舞いや言葉遣いで身分階級の差別がされている
なんて中世のイギリスだったかなんだったか
それを風刺している、戯曲ピグマリオンを原作にした
「マイフェアレディ」
という映画を知った。
見たことはもちろん、聞いたこともなかった。
その反面いい機会だ、知れてよかったともおもう。
ピグマリオンというのはギリシャ神話に出てくる、自分で創造した彫刻が美しすぎて恋をしてしまいキスをしているところ、それを見ていた女神アプロディ(たしかそんな名前だった)が彫刻に命を吹き込むという神話からきており
まぁ端的に言えば
創造者が創造物に恋をしてしまう。
というお話である。
それになぞらえて当時のイギリスの身分階級主義のようなものを風刺したものが「マイフェアレディ」だ。
教授がとある花屋の訛りが酷い娘をみて、友人の大佐に、"今度ある舞踏会に連れていけるような淑女にできる。してみよう。"などと言い、大佐と賭けを始める。つまり、創造物を作るというわけだ。
そして見事教授はとある花屋の娘を完璧なまでの淑女にし、大成功に終わった。
物語は一見ここでエンドを迎えたかのようにみえて、実はここからが本題だ。
娘は教授に"淑女の振る舞いをしていても淑女として見てくれていない。いつも花屋の娘でみている。"と言い、教授はたった一つだけ嘘をつく。"女性はみな平等に扱っている"と。
そう、ここで教授は"創造主が創造物に恋をした"ことを無意識に隠し、嘘をついた。そして娘がでていく。
原作ではここから娘は田舎の紳士と結婚し、
日本人からするとあまり気持ちよくない終わり方をしている。
が、マイフェアレディでは娘が戻ってきて教授と結婚するというハッピーエンドだ
ここで言われているのが恐らく
言葉を吹き込まれた創造物(娘)は意思を持ち、外在している意志(淑女の振る舞い)を無視して内在している意思(言葉遣いは淑女だが意思は本心)の言葉を使い自発的に使っている、いわば初めの神話のお話と同じだ
正直ここまで説明しておいて
俺は何が言いたかったのかがわからない
強いて言うならば、こういうことがあったな。くらいの報告会であり、雑談であり巷説みたいなものだ。
ほら、今日の信号全部青だったよ!
くらいと同じだ。
なんでもいいことを何でも良くないようになんでもいい表現で書いてみる。それがまたいい。恐らく初日から日が浅いためである。
まぁそんな長い文だってよくない?
急に吹く風より数倍マシだと思う俺はおかしいのかい。
地下鉄にゆらゆら
午前10時
関西圏のどこぞの地下鉄
いや、東京圏だったら山手線が〜とか東武線が〜とかメトロが〜とか言えたのだろう
なんとなく言いづらさもあり、後ろめたさもある。
そんなことより
秋の肌寒さが少しだけ家出をして戻ってきたかのように今日は少しだけ肌寒い。
好きか嫌いかと言われるとなかなかに好きだ、いやむしろ、普通に好きだ。
特に対して面白いことも起きていない。
けれども、始めたばかりのものって何かとしたくなる、書きたくなる。なんとなくわかるよね??
これは後々書かなくなるやつだぞ!と頭の中のリトル若林が呟いてそうな、
そうそう地下鉄。
ここ数日思うのが
地下鉄に乗りながら聞くbacknumberは至高だということ。
普段はRADWIMPSやRADWIMPS。それからRADWIMPSやマキシマムザホルモン、あとはそのとき聞きたくなった歌なんかを聞いてみる。
そんな感じの音楽サイクルしてるのに地下鉄に乗る時のベストな歌は日常の何かを歌っているbacknumberなんだと思うんだ。
普通に聞いてもいい歌が並んでいる。
けど
全く個人的な見解だが
あの空気感で聞くbacknumberが心を安らげてくれる。そんなような気がする。
動きたくない朝イチの身体に鞭打って地下鉄にのって憂鬱な気持ちで始まることが多いからこそ、欲しているのかなとおもうだけだけど。
しかし
文字に起こす作業は誰かにとどけられるかもしれない。なんておもうととっても面白く感じるね。
雨の日の過ごし方。
道路を颯爽と走るバイク
それは原付、原チャ、スクーター、大型、○○ccのやつ、○○(バイクの名称)などなど
呼び方はいくつもありスタイルもいくつかある。けれどもそんなことは分かっている。
ここで言いたいのはそういうことではない
そういうことではないのだがそういうことに近いのかもしれない…はず。
9月11日雨
この日
全俺を震撼させる出来事が起きた
帰り道
後ろを振り返らずに軽く乾いた道路
雨の日は危ない、気をつけろ、と再三父親に言われていたが、何も気をつけることはない。あぁそうだ、帰りの坂道は風をきって気持ちがいい。そんなことを思いながら
すれ違う友人を横目に差しかかるカーブを曲がり体重移動をする。
その時だ
目の前の視界が変わり
そのまま俺は道路に高校球児さながらのヘッドスライディング
腹部をそこそこ打ち、腕や手をする。
膝からも少量の血が垂れていたがほぼほぼ問題は無いくらいで、幸いなことに、特にこれといった怪我はなかった。
家に帰り、コケてしまった気をつけないと!などと軽く話題のネタにし、染みる擦り傷を我慢しながらお風呂へ入りその日は就寝。
翌日
雨だった
憂鬱な気分を抑えながらも時間がギリギリな俺はバスに乗る余裕などない。ましてや家の前はなぜか混んでいた。
キーを挿し、エンジンをかける。昨日みたいにはならないように慎重に安全に徐行第一。
どこかの工事現場のようなスローガンを掲げいざ出発。
そして、目の前には目的地の立体駐車場
あぁ昨日はあんな痛い目をみたし、今日は気をつけてるから流石にコケなかった、よかった。
なんて心の中で呟いた。
そう、
フラグはもうそこに立っていた
いや
フラグに迎えられていたのかもしれない。
徐行での時速10km。曲がることに妥協し、白い線を斜めに横切る
またあの感覚だった
ズズズズズッーーーーッ。
嫌な感覚だな、本当にあれは。
身体をとっさに動かし膝で受け身に、道路のど真ん中だったのでリカバリーを早く、車体を持ち上げ周りを確認。
よかった。対向車来てなかった…
安心も束の間
駐輪場に原付をとめて、キーを抜いた瞬間に悲劇に気づいた。
穴、空いてるやん…
血、出てるやん…
曇り空の下、地下鉄の車体を目の前に
もう雨の日は絶対に原付にのらない。
そう誓った。