「カレー」と「ノスタルジー」
カレーであること。
そう。ノスタルジーとはカレーであることだ。
自分で言っててなかなか意味がわからない感じはある。むしろそれしかない。
けれども否定しがたい何かがある。ような気がする。もはや意味不明だ。
一般的に
「ノスタルジー」
なんていうとやはり、夕方の公園、伸びていく影、迫り来る帰宅時間、まだ遊んでいたい心、夕飯の匂い、など探せばキリがない。
いわゆる「郷愁」と呼ばれるなにかである。
しかし、ここではあえて
「カレー」を「ノスタルジー」とする。
そうして、考えてみよう。
カレーとは母が作ってくれる最もオーソドックスで割と手抜きも出来て
かといって不味いことはほとんど無い、ハズレがないのだ。
いわゆる
アタリ確定クジだ。
引かないわけが無い。
カレーとかいうSレア選手をアタリ確定で引けるとなると、誰もが「ガチャ」を回すだろう
いや、回さずにはいられないはずだ。
しかし、
今回もそんなことはどうでもいい。
カレーだ。カレーがカレーたらしめているワケが一体どこにあるのか???
この問題提起にはやはり
我が家の○○
と言われるように
各家庭で個人差がとてつもないことがある。ということが付いて回る。
思い出してほしい。
なにかのイベントで食べたカレーやみんなで作るカレー。
「おれはぼっちだからそんなイベント遭遇しないぞ!」なんて声はここでは無視しておく。
その立ちのぼる薫りから連想されるカレーのスパイシーさ
コクがあってまろやかで、ここまではどのカレーにも備わっているであろう、いわばデフォルメである。
しかし
ここからが
カレーたらしめているワケなんだろうとおもう。
そうそれは
カスタマイズできること
しかもそのカスタマイズがカレーによって特色があるという所。
野菜ゴロゴロカレー、牛肉をつかったり、挽き肉であったり、豚なんかもなくはない。スジをつかえばモモを使うのも悪くない。言い出せばこれこそキリがない。
市販のルウを使うのかそれとも自分で調合でもするのか、突き詰めれば途方に暮れてしまうようなことである。
その論議があるからこそ
各家庭で色々なカレーがあり、
カレーであることは
ノスタルジーであることなのだ。
という訳の分からない
結論に至ってもおかしく
はないのだろうと
思いたいし、おもっている
え、とどのつまり?
カレーは最高!!!
カレーふぅ!!!
ビバ!カレー!!!
寒さが冬に片足を突っ込んでいるけど
体調不良をどうにかしてなおさなければ
また入試おちそう。うかるぞ。